ガヤス

楽しいです

節分と堀之内

節分でしたね。それは一旦置いておきますが、私は日頃からゴロのいいものを頭の中で巡らせてしまう癖がありまして、またその派生で思いついたものをすぐ575におさめようとします。いつからこんなことをしているのでしょうかね。しっかり決まるとニヤケてしまいます。楽しくて嬉しいです。最高です。



さてさて冒頭で「節分でしたね。」と言ったのは節分におなじみのフレーズの「鬼は外、福は内」についてです。
「福は内」についてはゴロのいいものが思いついたんですが、「鬼は外」についてが思いつきません。


「〇〇〇〇、ほりのーうち」


どなたか前半を埋めてください。堀之内が駅名ですので駅名を入れてくれると私大喜びです。

初詣とか

今週のお題「2019年の抱負」

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。


2018年は乾杯の瞬間をインスタのストーリーにあげる、酒に弱い友人を叩く、よさこいに参加する、のような量産的な行動をSNSで発信する等をしなかった自分に安心しました。



初詣、ちゃんと行きました。見渡す限り人人人。「別に楽しいイベントでもないのに何にそんなに心を惹かれるんだろうか」などと思ってしまいますが、家族に歯向かうのも和を乱し何のメリットもないので堪えてボンヤリと雲ひとつない快晴を眺めているとお賽銭入れる所まで列が進みました。
お賽銭入れる直前になっても何を願うかが浮かびませんで、どうしようかと思った時に「願ったからといって叶えるのは自分だし、ヒッソリと決意表明でもしよう」と思ったので軽い決意表明的な事をお賽しました。




『できる限り怒らず、理性を保ち道理をわきまえる人間になります。』


2018年は4年ぶりに女性のいる空間へ復帰、1年振りに身内以外の他人のいる空間へ復帰した年でした。僕の生活に彩りを加えてくれるのは自分以外の他人の方ですが、僕の生活にたまに陰を落とすのもまたその方たちです。相手を尊重できていないようなヒドイ話をかなり聞きました。
自分以外の人は例え親友であろうと家族であろうと他人です。「親しき仲にも礼儀あり」とはよく言ったものでして、その方達に対してしっかりと礼儀をわきまえる。僕はそれを理性と道理に帰着させました。
理性と道理をしっかり持った上であとは好き勝手に生きます。


良くも悪くも周りの方々は刺激をくれます。
良い刺激を多めに欲しいなと思いますので、そのためにはまず自分が周りに良い刺激を与えられるように生きないといけないなと思いますので、そのように頑張ります。



J.F.ケネディの言葉
Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country.

とても納得しているのでまずは自分から変わらなければいけないことを胸に刻みます。



そういえば我々は12月〜1月を年末年始と定めていますが、イスラム教徒の年末年始は3月にあるんですよね。もっと言ってしまえば天体から見れば年末年始とかいう感覚は全くないはずでして。何億人が12月〜1月を年末年始と考えていますが、こう見ると小さなルールに従っているんだなと。決して否定してるわけではないです。不思議な感覚ってだけです。



2019年は勤勉かつ未知のことに対して恐れず好奇心を持てるように。
楽しそうな事柄には貪欲に参加する、もちろんリスクの高すぎるものは別ですが。



坂本九の歌『明日があるさ』の一節「若い僕には夢がある」
僕はRe:Japanのカバーが好きですね。

明日があるさ

明日があるさ


きっと自覚してないだけで自分にも夢があるはずです。




「若いうちにあんなことをやっておけば良かった」と数十年後の自分に言わせないためにも2019年、頑張ります。

エンタメ記事の「称賛の声」系に対して思うこと

怒っております。
この手のニュースに対して。


LINEを開いてニュースという欄をタップすると2回に1回はこの手の記事があります。


「〇〇がすっぴんをインスタに投稿!その美しさにファン称賛!」
「〇〇が投稿したオフショットに称賛の声!」



ええい、うるさいうるさい


まず第一にファンというものは対象の有名人を様々な観点(ルックス、歌声、考え方等)はあるだろうけど、尊敬しているわけで。



ファンにとってみればその人はキラキラ輝く人、いや、もはやキラキラ輝く神様であるわけですよ。


その人が何をやっても尊い。その人がやることなすこと全てが正しい。行く先がどこであろうと、たとえ海であろうとその人の進む場所にファンの行く道は拓ける。









モーセです。






だから、相当極端な言い方をすればその人の耳クソも鼻毛もファンは崇め奉る対象になり得ります。
ちなみに私は稲葉浩志の風呂上がりのお湯で白米炊きたいです。





吉岡里帆が泥水を飲んで「美味しかったです!水筒に入れたいです!」と発信すれば、橋本環奈が犬がションベン引っ掛けた電柱を舐めて「意外と美味しいです」と発信すればファンは「そうなんですね!私も飲んでみます!」って言います。絶対言います。ホントに。いや、知らんけど。



つまりなにが言いたいのかというと


ファンがついている有名人が発信することならくだらないことでもファンはチヤホヤしてしまう。


ってことです。
これは仕方ない現象ですよ、だってファンだもの。チヤホヤしたくなっちゃうんだもの。



責めるべき対象はそれを記事にしてしまう人。
ファンがチヤホヤしてる投稿を見て「あ!この投稿すごい人気だー!記事にしよーっと!」と客観的な視点を失ってアホヅラで記事書くのかどうかは分かりませんけど、ああいうネットの声を鵜呑みにして記事を書く輩は個人的にはサルと同等。
そんなくだらないことをわざわざ大々的に記事にするんじゃないよバカタレ、と。


くだらないことを記事にするから内容も薄っぺらくなり、ファン以外の人がそれを読んで「こんなクソ記事に時間を割いてしまった」とカチンと来るわけで。



見向きもしなかったファンでも何でもない人から称賛されるような、振り向くような、そんな出来事があって初めてそれを記事にしなさいよ、と思うわけです。





結論: 井上公造は一生泥団子食っとけ。

コンビニおでんを買う目的は汁を飲むため


世の中には名言・格言というものがある。
それは時に織田信長徳川家康といった数百年も前の歴史上の偉人によって発せられた言葉だったりする。
また、それらの言葉は現代を生きる人々の座右の銘になって人々を支える力を持ったりもする。
しかし、私は今回上記の名言・格言とは色の異なるものを1つ紹介したい。




「エビフライはタルタルソースを食べるための棒だ。」 大沢たかお





言い得て妙である。

タルタルソースは美味しい。人々はタルタルソースが好きだ。


人はみなこう思っている。
出来ることならタルタルソースを口いっぱいに頬張りたい。
いや、タルタルソースの中を泳ぎたい。
タルタルソースを浴びたい。
水筒の中身はタルタルソースがいい。


しかし、タルタルソース単体を口に入れる行為に人は羞恥心を感じてしまい大抵は出来ない。
周囲の人に見られてしまったら現代の日本では変わり者扱いされてしまう。

「どうすれば周りの目を気にせずタルタルソースを楽しめるか」
この難題を解決したのがエビフライだった。



この棒の発明により人々はタルタルソースを心置きなく楽しむことができるようになったわけだ。




このエビフライとタルタルソースのような構図のものがこの世の中に他にあるのか考えた。
そして見つけた。

そう
おでんのダシである。



唐突だが、ここでコンビニおでんを食べる目的ランキングを発表する。


3位…具の味を楽しむ



2位…暖をとる







1位…汁を楽しむ


あの汁は美味しい、とにかく美味しい。
魔法の液体だ。
色が検尿とか言わない。


家での夕食がおでんだったが、汁がイマイチ。
コンビニおでんの汁の方が美味しい、そんな経験はないだろうか。


何度も言うが、あの汁は美味しい。
熟練の料理職人の母の腕を軽く超えてしまう。
キリスト教にもし入信することがあるとしたら私はコンビニおでんの汁での洗礼を受けたい。
来世の沐浴はコンビニおでんの汁でされたい。







セブンイレブンのCMを見たことがあるだろうか。

[HD][CM]セブンイレブン-おでん(15sec) - YouTube

このCMを見てもらえばわかるのだが、かつおと昆布のダシについて言及されている。

が、実際にかつおと昆布で合わせだしをとってもらえばわかるのだがおでんの汁の味からは程遠い。
ウマミは感じるが、あの味はしない。
私はたまに料理をするのだが、合わせだしからコンビニおでんの汁の味のクオリティに持っていく術は何も思いつかない。


家庭では作りにくいあの美味しい汁はもはや一般人の手の届くシロモノではない。


人はあのおでんの汁を求めてコンビニに走りコンニャクやダイコン、卵を容器によそう。
それはおでんの具を食べたいからではない。
おでんの汁を飲みたいからだ。




言ってしまえば、おでんの汁はタダである。
具を1つ買えば容器に汁を入れ放題だ。
しかし、「汁だけください」とは言えない。
タダでものをもらうことに人は引け目を感じてしまう。
羞恥心とモラルがジャマをする。
欲望のままに行動してよいのなら人はみな水道管の先をおでんのケースに繋げる。
しかし、繰り返しになるがそれはできない。
そこで助け舟を出してくれたのが具だ。

具を買うことで汁をどれだけとっても自責の念に駆られずに済む。


しかしどうだろうか。具を買ってみたものの、正直コンニャクなんて味は無いし、ダイコンなんておろし金でおろされてナンボ、卵は日本人なら生で食べたい。








おでんにされて輝く具なんてない。






コンビニに走り、そして容器いっぱいにおでんの汁を注ぐ。

汁を楽しむために最低でも具を1つ買わざるを得ない。
しかし、コンニャク1つで容器いっぱいに汁をよそうと店員は「具1つでこんなにも汁を入れますか、お客様」という顔をするだろう。


しかし、それに対する恥ずかしさを優に超える汁への欲望。
人間の70%は水分で構成されているが、それはコンビニおでんの汁である。
細胞の1つ1つが汁を欲している。




おでんの具は汁を飲むための口実に過ぎないのだ。

LINEのカバー画像は鮭

LINEユーザーのみなさんこんにちわ。アプリというものを使う上で避けて通れないのがアップデート。
いつぞやのLINEのアップデートで「だいぶ仕様が変わってしまった」と周りの友達が憤っていました。
その内容は






カバー画像が縦長になってしまった。




コレ、なかなかしんどいんですよね。

海とか行って写真撮って確認してもらえば分かるんですけど、世の中の風景ってだいたい横に長いんですよ。
みんな怒る原因の一つが恐らくコレなんじゃないかと。

縦長の風景なんて東京タワーとかスカイツリーくらいしか思いつかんのですよ。





そしてもう1つ、みなさんどこか行ったor遊んだ記念に集合写真を撮るのが好きだと思うんですけど、特に女子のみなさんは、さぁ困った。

集合写真撮る時って多分みんな横に並んで写真撮ると思うんですよ。

例えばディズニーに行って記念写真を撮ったと仮定しましょう。

「今日はディズニー楽しかった〜、そうだ集合写真をLINEのカバー画像にしちゃおー」っていう女子のウキウキ気分も数秒後に現れる現実に打ちのめされるんでしょう。

誰かを切らなきゃならない。



「A子は仲良いから切れないし、B子も切るなんてできないし………。そうだ、C子を画面から切ってしまおうか…」

なんていうドロドロな現実が待ってるんですかね、夢の国の思い出が一瞬で崩れるんですかね、知らんけど。


と、まぁ多分集合写真をカバー画像に使えなくなったことに対しての怒りの方が風景のそれよりも大きいと思うんですよ。


そこで私、対策法を考えました。


1.縦に並んで集合写真を撮る

どうでしょうコレ。例えばディズニーの地球儀の前で背の順に並んで写真撮影。これでもうカバー画像には困りませんよ?

多分EXILEかZOOしかやってくれないと思うんですけどネ。


2.カバー画像を鮭にする

高橋由一の『鮭』という作品をご存知ですか?

そう、コレです。
「見たことある!」って人も中に入るんじゃないでしょうかね。カバー画像を鮭にしてしまいましょう。

横長のものが多い世の中の絵画の中でこの作品は驚くほど縦長です。

LINEのアップデートを高橋由一は預言していたのかもしれません。


LINEがこうなってしまった以上、カバー画像は鮭以外ないです。




さぁ、みなさん。カバー画像を鮭に。

テレビ番組『初耳学』への違和感

日曜日22時〜TBS系列で放送されてる『初耳学』という番組、林先生の意見が興味深いから結構楽しみにしている番組なのだが番組のコンセプトに違和感を感じた。
あの番組は普通の人が知らないような豆知識や雑学を林先生にぶつけてそれを林先生が「知ってた」か「初耳」と答えるのがコンセプトとなっている。

林先生が「知ってた」と答えたら「おぉ、スゴイ、さすがだ」となるし、一方で「初耳」と答えたら「さすがに林先生でもコレは知らないのか」とな……るのならよいのだが、それ以上に知らなかった林先生に対してマウントをとって叩くという構図が私には見える。これが私にとってとてもとても不快である。

林先生の知識はすごいし、感心させられることも多い。(私は決して林先生の信者ではない。)隙のない林先生に対して重箱の隅をつついたような誰も知らない知識をぶつけて「初耳」と答えさせて無理矢理隙を作り、ひな壇に座っている人たちはご満悦。彼らは時には林先生に向かって批難をする。(ひな壇の人たちがその知識を知っているわけではない。)
これはテレビの演出なのだろうが、私はどうしても「情けないなぁ、この人たち。雲の上の人たちを無理矢理地上に落として袋叩きにするなんて」と思ってしまう。
うろ覚えなので間違ってる可能性もあるのだが、鉄道ファンが林先生に対してとある電車の写真を見せて「この写真で不適切な所を答えよ」と問うた回。この回はヒドかった。その答えは電車の窓が違う車両のものだった、とかそんな類のもの、だった気がする。出題した鉄道ファン君たちよ、博学な林先生だけど、そんなコマっけえこと答えられると思うか?そんなことで林先生に勝って嬉しいのか?小せえよ! と思わずにはいられなかった。

知らないのは悪いことではないのにそれを責め立てているようでこの回は特に不快だった。



ここで1つ発見をした。


林先生が「知ってた」と答えるたびに林先生の株が上がり、「初耳」と答えるたびにひな壇の人たちの株が落ちる。





ん…?コレは絶対的、相対的の違いはあれど、林先生が「知ってた」と答えても「初耳」と答えても林先生の株が上がる仕組み…?






もしかしてあの番組は林先生が自分の株を確実に上げるために仕組んだワナなのかもしれない。「林先生の林先生による林先生のための番組」。
さすが林先生、策士だ。





知らんけど。

「面白い」について

「面白いね」と言われることがある。もちろん嬉しい。とても嬉しい。
そういえば先輩が「面白いって言われることがどんな褒め言葉より嬉しい」と言った。確かにその通りだと思った。これが三枚目の末路である。
褒められると嬉しいし、ならもっと面白くなってやろうと思ったのでコレを書いてみることにした。

只今給料発生中。

私的には単に「面白い」と言っても様々な種類があるように思えて、おそらく他の方もそう思っているはずである。例えば芸人で言うなら「ナイツ」は言葉遊びが秀逸で「ハリウッドザコシショウ」は奇想天外で面白く、「いっこく堂」や「もりやすバンバンビガロ」は常人ではできないテクニックを披露し、我々はそれに対して面白いと感じるはずだ。(私はハリウッドザコシショウは面白いと思わないが)

長々と具体例を書いたがつまるところ、「面白い」の定義は曖昧である。なんなら声が大きければそれだけで面白い。しかし、私の思う「最高の面白さ」はさまぁ〜ず大竹一樹が持っている。そう、シュールさである。今はなき番組「リンカーン」で彼の面白さは遺憾無く発揮されていた。「リンカーン」で放送された「激論!朝までそれ正解!」というコーナーは是非見て欲しい。
浪人をすると人はみな「激論!朝までそれ正解!」にハマってしまうとかしまわないとか。

普段はあまり口を開かないが、口を開いた時は決まって爆笑を起こす。斜め上のワードセンスを持っていてハイレベルな笑いを届ける。それが大竹一樹

憧れます。ああいう人になりたいです。



え?お前にシュールな面白さはムリ?



1つ言わせてもらう。




なんでそんなことユーラシア?